生きる、ということ

 昨日、吉祥寺の映画館で、ジョー・ストラマードキュメンタリー映画「LET’S ROCK AGAIN!」を観た。ジョーのバンド、メスカレロスの日本〜アメリカでのツアー(そしてそのプロモーション活動)の模様を追ったものだ。


 早いもので、ジョーが亡くなって、もう2年が経とうとしている(2002年12月没)。彼の死後、過去の作品も新たに再発し直され、再び評価される機会を得ている。彼はもう、この世には存在しない。それは周知の事実である。しかし、この作品を見ていると、今でも、普通に生きているのではないか、と思わずにはいられない。それほどこの作品の中の彼は、本当の意味で「生きている」。


 自分を取り巻く現実を理解し受け止めながら、その中で目的を持ち、それに向かって進んで行く。そのためにはあらゆる方法を考え、それを自分(の精神と肉体)で実践していく。「生きる」ということが、そのような事であるならば(少なくとも私はそう思っている)、彼はそれを体現していた。


 彼がプロモーション活動のため、自らラジオ局をまわる場面などは、まさにそうであった。1人でプロモCDを持って、アポを取ってないラジオ局に出向き、自ら出演交渉をする。「昔、クラッシュというバンドにいたんだけど・・・(※うろ覚えなので正確ではありません)」てな風に、あのジョーが言うのである。正直、驚いた。あの歴史的な、ロックの最重要人物のひとりである彼が、である。売り込みに来た一介の無名なミュージシャンとは訳が違うのである。しかし、現実として、明らかにそのような状況に追い込まれている。それを彼は「ヒーローもゼロも経験して良かったと思う。魂のために。」と、ごく自然に言ってのけるのである。


 レコードセールスを気にし(1stが売れず、所属するレコード会社が損害を被ったので、なんとか次作で挽回したいという思いから)、少しでも売上を上げるために自分の出来ることはな何でもする(街頭に立ち、サインペンで書いた手書きのフライヤーを持ち、道行く人に声をかけたりもする。それも、いい返事をする人などわずかである)。それをジョーは、とても自然に当たり前の事のようにこなしている。そのジョーの、人生に対して腹をくくってる姿には、一人の人間として、体を張って見本を見せてくれているような気がしてならなかった。


 そして、この作品の合間合間に、彼へのインタビューがいくつか挿入されているのだが、栄光も悲哀も味わった彼から語られる言葉は、どの言葉も含蓄があり、心に響くものであった。まさに世界に向かって、ひとりで立ち、生きている男の言葉であった。(個人的には、何か迷っていた自分に「それでいいんだ」と言ってもらえた様な気がした。彼の言葉は、心の中に大事にしておきたい言葉ばかりだった)。それに、言葉だけでなく、メンバーやファンなどと触れ合うジョーの姿は、暖かく人間味が溢れ、とても魅力的だった。大部分でフィーチャーされていたライブ演奏も予想以上に素晴らしく、とても11年休んでいた(本人談)人とは思えない程、「現役」感があった。この後、数年で亡くなるなどとは到底思えないほど、ジョーは、ここでは「生きて」いる。


 ジョーはもういない。しかし、ジョーの、私たちに投げかけたものは残った。しっかりと残った。少なくとも私はそれをしっかりと受け止めた。私の、人生の目標となる人がまた一人増えた。


 ジョー、ありがとう。